日鋼記念病院の院長に高橋 弘昌先生(昭和54年卒)が就任されました
2022/04/08
お知らせ
この度、高橋先生から御挨拶を頂戴致しました。
今後とも御指導御鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。
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着任のご挨拶
日鋼記念病院 病院長 高橋 弘昌
消化器外科Ⅰのホームページをご覧の皆様、こんにちは。
2022年4月1日付けで、前 柳谷晶仁 院長の後任として、日鋼記念病院の院長に就任致しました。
私は1979年北海道大学を卒業し第一外科に入局、1989年から乳腺・内分泌外科専門医として、北大病院、JA札幌厚生病院外科に勤務後、2022年3月末まで3年間独立行政法人労働者健康安全機構釧路労災病院にて院長として勤務していました。70歳定年退職後は、自宅のある札幌市に戻るつもりでしたが、武冨紹信教授より当院の院長の就任依頼があり、大変な名誉なこととお受けしました。
当院は、1980年北海道大学第一外科助教授であった西村昭男先生が米国メイヨ−・クリニックを目標に設立された医療法人 社団 日鋼記念病院がもとになっています。メイヨ−・クリニックは米国病院ランキングのU.S. New Best Hospitals 2002-2021で、ほとんどの部門で第1位に選ばれた病院であり、先進的な技術の導入、徹底した効率化、医師、スタッフの育成の他に、「患者中心の医療」を基本的な価値としています。この基本的な価値を実現するために患者、スタッフ、そして医療関係者とのコミュニケーションに最も注力しています。
日鋼記念病院では、これまで多くの同門医師が、西村昭男先生の薫陶を受けております。私自身は、学生時代に西村先生から消化器外科学の熱心な講義を受け、感銘を受けておりましたが、残念なことに西村先生とは一緒に働くことはなく、また今まで当院で勤務する機会もありませんでした。
この度、当院に勤務をはじめたばかりですが、西村先生のお考え、いわゆる「西村イズム」を肌で感じています。
室蘭市は登別市、伊達市、豊浦町、洞爺湖町、壮瞥町とともに西胆振地域(二次医療圏)を構成しています。西胆振の地形は、変化にとんだ海岸沿いの平坦地から内陸部に向かって丘陵地、山岳と続き、ほぼ中央部に洞爺湖や有珠山、昭和新山があります。また支笏洞爺国立公園に指定されている景勝地があり、車で約30分のところにある登別温泉周辺では登別地獄谷、大湯沼、倶多楽湖などがあり、温泉独特のたたずまいを見せています。気候は、全般的に臨海性で一部には海霧の発生する地域や冷涼な地域を含みますが、積雪寒冷の厳しい北海道にあっては、山間部の一部を除き温暖で積雪量が少ないなど暮らしやすい地域となっています。
日鋼記念病院では、職員全員が「医療人として、組織として社会に貢献する」という使命を持っています。そのために。絶えず進歩する医学・医療の知識を習得し、各人がプロフェッショナルとしての技術レベルを目指して修練に励み、医学の知識を高い医療技術として発揮できるようなチーム医療を行っています。また、地域住民への情報発信に努め、地域住民の信頼を得て、地域住民に守られる病院づくりを進め、安心・安全かつ、満足のいくホスピタリティを提供しています。
さらに臨床研修病院としての機能の充実を図り、前期研修医および専攻医の教育・育成に努めるとともに、看護師をはじめ、コメディカルスタッフの育成、技術の向上に努めています。職員が働き甲斐と誇りを持てる職場と真にその能力を発揮できる環境作りが不可欠であり、そのためには組織の発展・向上の原動力となる職員の活力が伸びやかに育てられる育成システムを構築しています
医療崩壊といわれる時代にあって地域医療を守っていくには、当院の役割を明確にして、地域の他の医療機関と組織を超えた密接な連携のもと、調和と協調を進めていくことが求められます。今後とも益々すすむ人口減少、少子高齢化の社会環境のなかで西胆振地区になくてはならない病院として最新の知識と技術に基づき、地域の病院、医院の先生方とも連携を一層密にして地域住民の皆様の健康づくりのために、透明性の高い、良質で信頼される医療を実践し続ける所存ですので、引き続き消化器外科Iの教室員ならびに楡刀会々員の皆様のご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。